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1822年から1976年まで続いた金本位制だが、採用できたのは少数の国だけだった。何故なら、兌換紙幣を発行するために必要な量の金を持っていなければ金本位制を採用できないからだ。国が金の保有量を増やすには、自国で金を産出する場合を除いて、貿易で利益を得るか、戦争で勝つか、いずれにしても外国から金を得る必要があった。
1850年~1860年代当時の欧州は金の生産量が急増していたので、金銀比価が急激に低下(金よりも銀の価値が上がっていた)しており、銀本位制国が金本位制国に変更するのが容易になっていた。
英国に遅れること約50年後、1873年にドイツは、フランスとの戦争の賠償金を誘因として金本位制度に移行した。
その他、1848年以降は、世界中で莫大な量の金が採掘され、他の欧州諸国(銀本位制や金銀複本位制 が多かった)も金本位制に変わっていった。
アメリカは金銀複本位制度をとっていたが、南北戦争(1861~1865年)のために一時的に兌換を停止(戦費を賄うためにグリーンバックと呼ばれる不換紙幣を大量に発行して軍事物資を購入した)するという苦難の時代を経て、1900年に金本位法を成立させ正式に金本位制国家になった。
日本は、かつては黄金の国と呼ばれるほど金の産出量が多かった。それゆえ金銀の交換比率は欧米と比較すると金は銀よりも低い状態だった。開国以降、国内の金が海外の銀と交換され、日本の金は海外に大量流出してしまった。政府は明治時代に金本位制を採用しようとしても、それに足り得る金を保有していなかった。しかし、明治政府が下関条約によって、日清戦争 の賠償金※を獲得したことで、金本位制を採用することができた。それまで日本円は外貨に対してジリジリ値下がりをしていたが、金本位制の採用で為替レートを安定させることができた。
参照※
賠償金は日本にとって大金だった
日清戦争の戦費は、当時の金額で2億3,340万円
賠償金は、当時の円金額約3億1,000万円
開戦前年度の国家予算(8,458万円)の3.6倍 相当
現在の日本の予算(一般会計部分のみ)は約100兆円だから、360兆円の賠償金
その後主要国において金本位制度がとられ、第一次世界大戦までの期間は金本位制度の「黄金時代」と言われているが、金を保有し金本位制を採用できた主要国と採用できない国との格差が生じた時代でもあった。
現実世界には適合できなった金本位制理論は終焉を迎えたが、終わり方も一筋縄ではなかった。
それは次回の話
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