ウィークリーレポート・マンスリーレポート
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人類は長い歴史の中で経済生活を続けてきたが、その取引の安全のために何を重要視してきたのだろうか?
人類最初の取引形態である物と物を直接交換するだけの物々交換経済の時代では、相手の提供する商品サービスの価値(=モノ)の判定、交換物が等価か否かの判断が重要だった。
交換する物の価値の不均等を解決する目的でツケの利用が始まった非等価物々交換経済の時代になると、将来の債務を履行してくれる相手なのか、正しい価値のある商品を提供する相手なのかという取引相手(=ヒト)の信用判定が重要になった。
金属貨幣を使用する時代になると、商品サービスの不足分を「その場で貨幣を支払って取引が完了」するので、将来債務の履行能力の判定(=取引相手の信用判定)が不要になった。しかし、商品サービスの対価として受け取る貨幣(=カネ)の価値判定(正しい貨幣か、品質不足貨幣か、偽物か、)が重要になった。
金属貨幣時代では、金貨が貨幣の王座に就いた。金貨は便利ではあったが解決不可能な問題があった。
ビジネスの取引規模が増えるスピードに比例して金貨の流通量を増やすことができなかった。経済が必要とする金の新規産出量を達成することが困難だった。そのために、常に金貨不足問題がつきまとった。
その後、金の生産・供給の飛躍的な拡大(南米の金の欧州への流入、ハンガリー金鉱山開発、アメリカのゴールド・ラッシュ)が起こり、金不足問題が解決すると、「いつでもご希望とあれば金と交換しますよ」という国家の約束のもとで兌換紙幣を日常取引で使用する金本位制を採用するようになった。
しかし、第26回、第27回で述べたような理由(戦争経済体制で金本位制を停止し不換紙幣を大量に発行したこと、二度の世界大戦で欧州の金保有が激減したことなど)で金本位制は継続不可能になり、結局1971年に終わった。
現代人は、商品サービスの対価として受け取る貨幣に関して、貨幣に記載された数字(5,000円、10,000円などと表示された数字)と貨幣の物質としての価値(貨幣製造のための紙の値段、硬貨の場合は銅やニッケルの値段)との間には何も関係がない状態で経済生活を送っている。
モノ → ヒト → カネと言う順番で信用の判定を変化させてきた人類だが、「現代は貨幣を受け取った瞬間に取引が終了し、しかも貨幣(=法定通貨)は受け取り拒否ができない」ので、ヒトもカネも判定の対象外だ。受け取る商品サービス(モノ)と支払う貨幣(カネ)がバランスしているかの判定しか意味がなくなった。
国家の権威と法的強制力で「その紙切れ(=法定通貨)を持っていけば、商品サービスと交換してもらえる」という強制的な流通状態を、「国家の権威と法的強制力」で意図的に作り出しているのが現代社会だ。
つまり現代人の経済生活は「国家の権威と法的強制力」に対する信頼で成り立っており、貨幣自体への信用から国家の信用に変化したのが現代社会なのだ。
日本人は借金を好まない。借金はなるべく早く返済しようとする傾向があるし、無借金経営を称賛する風潮もある、、、
それは次回の話
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