ウィークリーレポート・マンスリーレポート
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1648年、のちに最後の宗教戦争と呼ばれる三十年戦争が終結し、中世ヨーロッパが終わり、そして近代ヨーロッパが始まった。
封建制で非効率な暗いイメージの中世に対して、近代は主権国家体制で明るいというイメージがある。
一方で、近代は戦争の遂行に必要な巨額の資金をどう工面するかで悩み続けた「借金の時代」でもあった。
中世に続いて近代も戦争に明け暮れた時代だった。
そして近代戦争は高度で高価な武器の発達により戦争の遂行に巨額の資金を必要とするようになった。
そんな巨額の戦費をまかなう増税は各国とも不可能だった。誰かから借金ができなければ戦費が尽きて戦争の継続が困難で降参するはめに陥るリスクはもとより、宣戦布告すらできない状況に陥るリスクもあった。
近代はむき出しの欲望を実現する帝国主義の時代であり、武力を行使して外国を侵略し植民地化する事によって国家を発展させる時代だった。そのために必要な武器は借金で調達したお金で買う時代だった。
借入能力の多寡が勝敗を決めた。借金は海外から調達した。
つまり、海外投資家(=資金提供者)の信頼を得るために何かが必要だった。
金貨は当時の資金調達の世界で最も信頼された資産だった。金貨で借金が返済されることが資金提供者の最大の望みだった。
このため、近代の国家は「自国通貨をいつでも金貨と交換できる制度(=金本位制)を採用すれば、海外資金を思うように調達できる」と思うようになっていった。
日本でも明治期の財政の重鎮であった松方正義は、「金本位制を採用すれば、貿易相手の信用が得られる。信用されるから、海外のお金を導入して近代化を促進できる」と主張して1897年に日本は金本位制を採用した。
松方は日露戦争の遂行に必要な巨額戦費の調達を欧米投資家に頼った。
難航したものの、日本が金本位制国家だったため、外債発行による戦費調達に成功した。
金本位制とは、国が信用を得るためのものだった。
当時、国が借金をするには、金本位制を採用して資金提供者の信用を得るしかなかった。
しかし、金本位制を採用することは国の財政運営や国民生活という面で、クリアすべき高いハードルがあった。
それ故に簡単に採用できるものではなかったのだ。
それは次回の話
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