ウィークリーレポート・マンスリーレポート
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1822年から1976年まで続いた金本位制だが、「金が支配する経済がベスト」という机上論は現実世界では無理があった。
経済史という観点から見れば金本位制は短期間で終わった。「無理」の背景は次回に譲るとして、今回は終焉のプロセスを振り返ってみたい。
1800年代後半に黄金期を迎えた金本位制だが1914年にはじまった第一次世界大戦で各国は中断を余儀なくされた。
なぜなら、軍需物資の購入のために政府が保有する金の量を大幅に上回る紙幣を印刷する必要があったからだ。
その印刷は金本位制のルールでは禁じられていることだった。
第一次世界大戦が終結し、1919年にアメリカが金本位制に復帰し、その後に各国が復帰した。
しかし、1929年のNY株式の大暴落に端を発した世界大恐慌により、1931年にすべての国が金本位制から離脱した。
世界不況は日本やドイツの経済を直撃し、海外侵略による打開という誤った道へ両国を突き落とした。それが引き金となり第二次世界大戦が没発し、米国を除く世界中が戦場となる悲劇になった。欧州や中国、日本の経済は壊滅的な打撃を受けた。
第二次世界大戦は終わり平和が戻ってきたが、金本位制には戻れなかった終戦時、金本位制の復活を模索したが、完全な形での金本位制の復活は不可能だった。米国以外の政府が保有する金は流通する通貨とくらべれば、取るに足らないほどの量しかなかったのだ。そこで、次善の策として、世界最大の経済規模に到達した米国が世界の通貨管理を引き受ける(=アメリカを中心とする世界経済体制)ことになった。これは後年ブレトン・ウッズ体制と呼ばれる。
1944年6月のノルマンディー上陸作戦後の翌月に米国ニューハンプシャー州ブレトン・ウッズでの連合国通貨金融会議(45ヵ国参加)ブレトン・ウッズ協定として締結され、1945年に発効された。
【内容】
1:世界の通貨はUSドルとの間で固定為替を採用し自由貿易を発展させ、世界経済を安定させる
2:外国の政府と中央銀行は米国政府に対して1オンス35USドルで手持ちのUSドルを金に交換要求ができる
それで世界経済は安定すると思われたが、二度の世界大戦を通じ、経済的に英国は疲弊しきっていた。
英国は国内経済の悪化と植民地の独立によるポンド経済圏の縮小、という二重苦に陥っていた。
貿易赤字の増大によりポンドは下落圧力を受け続け、結局通貨切り下げを余儀なくされた。(1967年 ポンド通貨危機)
一方戦後世界の覇権国になった米国であったが、1960年代のベトナム戦争での莫大な戦費や、1945年から始まった米ソ冷戦の中、政府は自由主義陣営を支える目的で、米国市場に彼らの輸出製品を開放し、大量に製品購入する政策を実施した。その結果、米国は巨額の貿易赤字に陥った。欧州や日本には大量のUSドルが蓄積された。
そんな中、フランスが貯まったUSドルを金に交換することを米国政府に要求した。
しかし、米国は拒否し、その後1971年8月にいわゆるニクソン・ショックと呼ばれる決定(金と米ドルの交換を停止)を宣言した。
様々な修復努力があったが、1973年2~3月に世界は変動相場制に移行、1976年には金の公定価格を廃止(=金本位制の法的終了)した。
金本位制が現実世界に適合できなかった理由は、、、
それは次回の話
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