ウィークリーレポート・マンスリーレポート
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1822年に始まった金本位制が150年という短期間で終わった背景には、机上の空論(願いという方が正しいかもしれない)を実現できない現実世界の三つの事情があった。
第一に、経済規模の拡大に対し金の産出量が少ないため、拡大する経済が必要とする「追加の金貨」が製造できなかった。
経済成長に見合う分に匹敵する金量を確保することができなかったのだ。
そういう時、金本位制の世界ではどうなるか、以下の二つの図で解説したい。
最初の図は「経済、金、お金の三者が正しくバランスしている状態」だ。
次の図は上図の状態から時間が経過して、経済が「100→400」に拡大したが、金は「100→200」という増加にとどまった(=経済よりも増加が少ない)という状態だ。金本位制では自国の持つ金の量以上のお金を発行できない。
経済に見合うお金の量は400だが、金本位制のルールでは200しかお金を発行できない。
その結果、「金とお金の関係は以前と同じ」だが、「経済の価格」は、“お金”に対しても“金”に対しても下落することになる。
それが金本位制の厳粛なルールだ。
「経済成長以下の金産出量」は、経済の価格(=物価)の継続的な下落(=デフレ)という結果をもたらす、つまり金本位制はデフレを起こすのだ。産出量の少ない金が支配する金本位制はデフレや不況が宿命づけられた制度なのだ。
第二に、貿易赤字国では金本位制の維持が困難だ。
ブレトンウッズ体制では、各国はUSドルと自国通貨の固定交換レートを維持する義務があり、そのためには貿易収支が黒字を維持し続ける経済政策を実行する必要があった。しかし、そもそも全ての国が貿易黒字にはなれない。
例えば、A国の黒字はB国の赤字だから、赤字B国は黒字A国に金を渡す。B国は金が減った分だけ、流通するお金を減らす必要があるが、そんなことは政治的にも不可能だ。国内経済が不況になって国民生活が破壊されるからだ。
第三に、米国はUSドルの発行の増加に見合う金の保有量増加をしなかった。
第二次世界大戦後の冷戦期、米国は自由主義陣営国家に大量のUSドルをばら撒いた。
正確に言えば、米国が米国陣営の国々の製品を購入(=輸入)した結果、米国は貿易赤字になった。
その際、米国は金ではなく追加発行したUSドルで支払い続けた。外国政府の要望があれば、USドルを金と交換するのだから、それまではUSドルで払えば事足りるということだった。
しかし、米国政府は増加したUSドルに見合う金の保有量増加をしなかった。当然のことだが、USドルに対する信用が低下した。そして1960年代にフランスがドルの金への交換を複数回にわたって要求したが、アメリカは拒否した。つまり、「国政府の要望があれば、USドルを金と交換する」という約束が反故にされたのだ。
少ない金はデフレを引き起こす。貿易赤字国が困る。米国は金本位制のルールを反故にした。このような三つの事情があり、それを解決できなかったので、金本位制(=金の残高に比例して貨幣の量をコントロールする政策)を放棄せざるを得なくなったのだ。
このような世界の変遷の中、ドル円為替レートの推移はどうだったのだろうか、、、
それは次回の話
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