ウィークリーレポート・マンスリーレポート
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経済社会において、銀行は信用本位制資本主義の根幹である信用創造を担っている。それゆえ世界の政治家は、平時においては銀行を優遇し、経済危機に際しては救済する。それほどに重要な信用創造とは何だろう?
人類が最初に発明した経済活動のツールである「ツケ=債務」を生み出すこと、つまり貸付・借入(両者はペア)を作り出すことが信用創造だと考える。そして貸付・借入ができれば、借入をした者はその資金で買い物ができる。要するに信用創造とは購買力の創造ではないだろうか。
誰かにお金を貸すためには資金が必要だが、その資金はどうなっているのだろうか?そして、金貨が経済の中心に位置していた時代と不換紙幣を基礎とした現代では、その資金に違いがあるのだろうか?
金貨が経済の中心に位置していた時代では、裕福な個人や商人は盗難の恐れ・取引の決済に使う目的から(第12回:取引の安全を求めた商人と銀行の台頭、第13回:銀行は最先端企業だったを参照)、銀行に金貨を預けていた。預かっている金貨が一気に引き出されることは無いので、銀行は「預かっている金貨の一定割合を誰かに貸し付け利息を取る」ビジネスを行うことができた。金貨を貸し付ける場合の多くは、金貨そのものを借入者に渡す(その金貨の多くは国境を越えて運ばれて商品と交換されることが多かった)ので、銀行にある金貨は減少した。結果、預かった金貨以上の貸付をすることは困難であった。
一方、現在の銀行ビジネスにおける貸付では、借りた人が銀行からお札を引き出すことは稀だ。さらに、借りる者の口座は資金を貸し出す銀行で保有されることが多いので、貸付に使われるお金の多くは通帳間で数字が動くだけとなり、貸付を実行しても銀行のお金はほとんど減らない構造となる。この状態を前提に、銀行は保有する預貯金の残高以上の金額を貸し付けることができる。要するに、現代の銀行は「持ってないお金の分までも貸付を実行し信用を造っている」と換言でき、そしてそれは創造と言えるだろう。
貸付を得た人は、そのお金で物を買うことができる(=購買力を得る)。金貨経済の場合は、金貨を預けた人が持っていた購買力が、銀行に預けた時点で銀行に移転し、金貨が貸し出された時点で借りた人に移転する。購買力という点では増えも減りもしておらず、不変だ。
一方、現代の銀行は集めた預金以上に貸付ができる。お金を預けた人が持っていた購買力が、銀行に預けた時点で銀行に移転するところまでは同じだ。しかし、預金金額以上の貸付をすれば購買力はさらに増加された状態のまま借りた人に移転される。つまり、信用創造とは購買力を増やす行為とも言えるだろう。
社会に存在する購買力の増減は景気に影響を与える。購買力が拡大すれば、商品やサービスを入手しようとする人が増え生産が拡大し、結果として経済が拡大する。反対に、購買力が減少すれば不景気になる。銀行の貸付ビジネスが低迷すれば、信用創造による購買力増加が鈍化するので景気も低迷する。
購買力に関してより正確に言うと、購買力は持っているだけなら経済に影響を与えない。購買力という権利を行使して始めて経済にインパクトを与える。購買力を持っていても行使する人が減少傾向になれば不景気になる。要するに、自宅に多額のタンス預金をしている人は購買力を冬眠させてしまっており、結果的に経済にネガティブ・インパクトを与えているのだ。
不景気とは、生きたお金の減少であり、生きたお金が減れば「商品サービスに対する生きたお金の割合が低下」し、「商品サービス多寡・お金不足」状態になる。その結果、「商品サービスの価格低下・お金の価値上昇」という現象が起こり、「デフレ」になるのだ。したがって、この悪循環を断ち切るには、購買力を増やして経済を成長させるしかないのだ。
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それは次回の話
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