ウィークリーレポート・マンスリーレポート
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数年前から話題になっているビットコインだが、これはお金なのか?そもそも人類は“どういうモノ”をお金だと認識してきたのだろう?
約3000年もの間、「お金とは金貨だ」と人類は認識してきた。金と言う物質の価値を認めそれをお金として使っていた。しかし様々な問題を背景に(第26回:金本位制の終焉、第27回:金本位制を捨てた理由を参照)、現在では何とも交換してもらえない紙切れ(=不換紙幣)となった。結果、政府が発行する不換紙幣を強制的にお金だと認める金融制度(国家の権威と法律、民間の金融機関を含む)を信用することで、その紙きれをお金だと認めているのだ。
一般的に「ソレ」がお金として認められる条件だが、①多くの人が「ソレ」を所有して、②多くの人が「ソレ」を売買決済に使用し、③多くの人が「ソレ」を蓄財目的で貯め込む、という3つの条件をクリアーすることが必要だ。
かつての金貨はそうだったし、現在の米ドルや日本円もそれぞれの国内ではそうだ。金貨と現在の不換紙幣との違いは、金貨は「ソレ」自体の価値と権威によって国境を超えてお金と認められていたが、現在の不換紙幣は当該国の法の権威が及ぶ範囲でしかお金と認められないという点である。その違いは、上図の何を信用する?を見れば明らかだろう。
結局、“「ソレ」はお金だ”と認めるから、「ソレ」がお金になっているという構図は古今東西変わっていない。極端に言えば、タヌキの葉っぱであっても一定範囲のコミュニティの住民が“それはお金だ”と認めて所有・使用し蓄財していれば、このコミュニティではタヌキの葉っぱは“お金”として成立しているのだ。
その意味では、ビットコインは非常に狭い範囲のコミュニティの中で“それはお金だ”と認められ、所有・使用し蓄財されているのが現状だ。よって、一部の人にとってはお金であるが、多くの人にとってはお金ではない、と言う解釈が妥当だろう。
なお、ビットコインには金との類似性がある。それは量が決まっており経済成長に比例して増やせない、という点だ。第27回レポートで説明したように、この類似性によりビットコインを貨幣として使うと、デフレ圧力が経済にかかってしまう。それは好ましい事ではなく、特に資本主義の「成長や拡大を善とする基本姿勢」とは相反するものだ。
また、量が限られているので投機の対象になりやすく、通貨としての価格が不安定だ(下図参照)。通貨自体の価格が激しく変動すると、それを商品サービスの売買に際して決済貨幣として使うには不都合だ。売り手・買い手の双方にとって、売買契約時と支払時の短期間の時間差で生じるビットコインの価格変動を気にしながらビジネスをする必要が生じる。これでは安心して使えない。
色々と考えれば、ビットコインは現代の生活に通貨として使うには不十分だと言えよう。米ドルは基軸通貨だと言われている。基軸通貨ゆえの特権的地位に嫉妬し、異を唱えることは度々起こっているが、、、、
それは次回の話
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